クロスジャム LAB

170cmの私がダンクを実現させるための軌跡を記していきます。

マイ バスケ ヒストリー

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私のバスケの歴史を振り返ってみます。
特に凹凸のないバスケ人生ではありますが、是非優しい目でご覧ください。

 

目次

 

 

バスケを始めたきっかけ 


クロスジャム少年は小学生卒業後の春休み期間に部活をどうしようかと考えていました。
漠然と運動部に入りたいという思いはあったのですが、特に何をやりたいというのがなかったため、なんとなくで陸上部に入ろうと思っていました。

 

するとなぜかバスケが頭に浮かびました。
体育で楽しかったぐらいの感じだったのにです。


その考えのまま中学に入り、仮入部として体験に行きました。

小学生時代は遊びで鬼ごっこをするなどアクティブ派で、20mシャトルランも80以上と、習い事をしてない割にいってる方だと思っていました。


そして仮入部の最初の練習はアップの10分間走。
運動をしていなかった私にはとてつもなくしんどくて、走りながら

「無理だ」

と思いました。

 

しかし何故かバスケ部以外に入る気が起きなかったのです。

 

そして入部し、何とか先輩や経験者の同期についていっていました。
先輩の代はもちろん試合に出れるわけもなく時が過ぎました。


そして自分の代になっても後輩のミニバス経験者にレギュラーを奪われ、まあ試合には出れません。

 

そしていつしか練習試合が決まると別の意味で喜んでしまっていました。


普段練習は、走ってばかりでなかなかきつかったです。

そのため、「練習がない!」というしょうもない気持ちが先行するようになっていたのです。


これはかなりあるあるだと思うのですが、

「部活は嫌だけど、バスケは好き」

の典型でした。


なので部活がOFFの日は必ず公園のコートで待ち合わせをしてバスケをしていました。
飽きたらゲームをしたりしていましたが、思い返すと青春そのものだったなと泣けてきます。


ゲームをしていたとはいえ、これだけ毎日バスケをしていましたが、試合経験が全くないのでBチーム戦で出たりしても結果を出せるはずもなく、中学バスケは引退しました。

 

高校バスケ


バスケは滅茶苦茶好きだったので高校でもバスケをやろうと考えていました。
強い学校か、弱いところで試合に出るか。。。


私は後者を選びました。


そしてこれも結構あるあるだと思うのですが、「引退するとうまくなる現象」
ありませんか?


私が思うに顧問や監督のしがらみから解放されてうまくなるのではという説なんですが、、これはどうでもいいですね。


そんな現象の中にいた私は仮入部期間に体験に行き、少し自信もあったためのびのびプレー出来ました。


そこで今でも覚えています、敵の背面を通すノールックパスをしてちょっと湧いたことを。

 

それからは、一目置かれるほどではなかったですが、今までの位置づけではないことを感じていました。


当時の3年生の代は上手い人が多かったのでさすがに試合には出れませんでした。
が、しかし、代が変わって一個上の2年生の代最初の練習試合。

 

スタメン発表で5人目に名前を呼ばれたのはまさかの私でした。


人数が少なかったことなどもありましたが、バスケ人生が一転すると感じました。


とはいっても初めてすぎる経験に、何とか動揺を隠そうと平然を装いまくった表情を作っていました。


そしてティップオフ

 

ミスりまくりました。

 

試合経験がなさ過ぎました。

 

当たり前の結果かもしれなかったですが、悔しかったですね。


そこからの高校バスケライフはしばらくの間踏ん張りタイムです。


そんな中成長に繋がるあるきっかけが訪れました。

ちょうど高校時代にアイフォンが普及してきて、ユーチューブで海外バスケのハイライトを見るのが流行っていました。

 

その中の一人「Trevor Dunbar」という選手に心奪われました。
見ていていただければわかりますが激ウマです。

 

激ウマプレイヤーはたくさんいましたが、個人的に一番かっこよく映っていて「こうなりたい」と初めて思ったのです。


人は目標があると加速しやすく、当時は意識してはいなかったのですが、確かにその時期からかなり上達していたと思います。


これは引退時の寄せ書き的なものを読んで気づいたのですが、「このチームでガードは俺しかいない!」くらいの感じにまではなっていたようでした。

 

己惚れすぎたかもしれません。すいません。


中学時代とは打って変わってレギュラーメンバーの座を手にすることが出来ていました。


しかしトレバーダンバーにはまったのが高校2年生の終わり頃だったので、すぐ高校バスケは引退しました。

 

大学バスケ


受験を経てそのバスケの熱量は失われてしまっていました。
なのでバスケは大学で部活に入らずサークルに入ったり、地元の解放体育館でやっていました。

 

それでもバスケは好きで、ちょこちょこやっていると受験で封じ込めていたバスケ熱が復活。


同時期に筋トレを始めることで身体能力の変化を感じたり、地元の体育館で上手い人たちと仲良くなるなどバスケを楽しむ良い環境ができました。


部活に入っていた時より真剣にバスケに取り組んでいました。
一時プロを目指したいとトライアウトもいくつか受けたり、
お金を払ってワークアウトを受けに電車で一時間かけて通うことなどもしていました。


やはり能動性こそが上達の一番のカギであるということを身にしみて感じました。


大学生らしい生活も少ししながら、そんな充実したバスケ生活をしていました。


そんな中、大学3年か4年の頃体育でバスケを履修していて、なんとなくリングジャンプしたことがありました。
するとなぜか地面に着地しないのです。

 

そう、リングにぶら下がっていました。

 

「今年の目標はダンクをすることだ」と決めましたが、バスケをうまくなりたい私はダンクに重きを置くことはせず、バスケを練習しながら少しジャンプ力トレーニングをしていました。


しかしそのまま時は過ぎ、その年にダンクをすることはかないませんでした。

そして結局そのまま就職することとなりました。

 

社会人生活とバスケ生活


そして卒業後の春休み期間にバスケでがっつり捻挫をしてしまいました。
卒業旅行も松葉づえで遊びましたがホントにつらかったです。(笑)

 

その期間もバスケ漬けにしたかったのですが、もちろんできなくなってしまいました。

 

土曜日に捻挫をし次の日歩けなかったため、日曜にやっていた数少ない病院に行きました。
声を大にして言えないですが藪医者でした。
たかが捻挫に1か月以上松葉づえ生活を強いられました。


歩けるようになったのは丁度入社式頃です。
それからも多少違和感などがあったため、知る人ぞ知る病院に行ってみました。
片道2時間弱で働く間を縫って通っていましたが、2時間弱かける価値があると判断するほどでした。


そして治っていくのですが、かれこれ2か月ほどバスケができていません。


できるようになってからも社会人は意外と時間が少なく、時間を作って色々やっているとバスケをする時間がかなり少なくなってしまいました。


地元で出会ったバスケ友達とも連絡は取りながらも、バスケをすることはほとんどなくなってしまいました。


バスケの頻度が減ったことで、力みを減らすことが出来て逆に割といい感覚でシュートなどを打つことはできました。


バスケに打ち込む時間が減ってしまったので、切り替えてダンクを本格的にしてみようと考えました。
その考えに至るまで半年以上かかりましたが、それを機にブログを書くことにも至りました。


そんなこんなで今に至りますが、ウイルスの蔓延によってダンクへの計画は少し狂いました。
しかししっかり考え直すいいきっかけになったとも本気で考えられます。
バスケの頻度も増やしていくプランもあります。


ダンクへの道はそう遠くはないでしょう。


今後のバスケライフ乞うご期待です。

 

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